2019年9月25日月曜日の夜、

私の叔母が

書き置きを残して失踪しました。

翌日の早朝に

叔父から電話があり、その事実を知りました。

用事を済ませて、

母ともう一人の叔母と3人で、叔父を訪ねました。

到着と同時に水死体となって発見された、と

警察から叔父へ電話が入りました。

7年間、内臓の不調で苦しみました。

しかしどこの病院でも病名がつかず、

有効な治療ができないままでした。

思いつめて、発作的に身投げしたようです。

叔母さんの顔を見て

悲しみよりも「お疲れ様でした」の思いでした。

もちろん私は自殺反対の立場です。

しかし長年辛い思いをした叔母さんに対しては

「お疲れ様でした」の思いでした。

なぜ、そう思うのか?

私の起業は、

うつ病になり、仕方なくだったからです。

自殺してしまいたいと

何度も思った経験があるからです。

うつ病体験記をご披露しますので、

ご自身や周りの方の参考になれば幸いです。


うつ病体験記

それは平成14年の10月か11月だったはず。

その当時勤めていた会社の社長に言われた一言から始まった。

(最後の引き金になっただけで彼のせいとは思っていない)

「高橋君に任せていたら
   (会社が)こんな事になってしまった」

それから身体の変調が始まった。

いつもなら30分とか、

すぐに出来る事が1日経っても終わらない。

ぼ~として考えがまとまらない。

何もする気が起きない。等など・・

でも会社には行っていた。

書店には仕事柄で良く行っていた。
*サボりではない、仕事(笑)

その書店にTarzan(マガジン出版社)の

メンタルヘルス特集号があった。

表紙がうつ病のチェックリストになっていて

見ると、何と全項目当てはまるではないか!

慌てて本を買い、

こんな病気が世の中にあるのかと、その時知った。

しかもどう解釈しても自分はうつ病らしい。。

ネットで調べて

一番近所で女医さんがやっている心療内科に行った。

女医さんを選んだのは、

怖いイメージがあったんだと思う。

やはりうつ病「確定」で

まず妻に打ち明け、社長にも打ち明けた。

ここから先は

記憶がまだらになっている部分もある。

社長は親切だったと思う。

親族も

同様の病気になった事があるので

病院を紹介してくれた。

産まれて初めての精神科、である。

身重の妻も一緒だったはずだ。

すぐに1週間単位の休暇をもらい、

病院に行ってはまだ無理と言われました、

を何回か繰り返したはずである。

通院が先か後かははっきりしていないが

妻の計らいで沖縄旅行に連れて行ってもらった。

有給休暇を使ったんだと思う。

確かにリフレッシュはしたのだが、

会社に行くと具合が悪くなる。

それで医者が出した結論は

3カ月の自宅療養だった。

話は前後するが、発病の引き金は

当時勤めていた会社の社長の一言であったが

その一言だけが原因ではない。
(氏の名誉のためにも)

親しかった友人との喧嘩別れ

第2子の妊娠
(これはなぜ当時プレッシャーだったのか、今では謎)

会社の危機

等などが一気に押し寄せたからで、

一気に来なければ結果は違ったかもしれない。

しかし大部分はその当時の会社からのストレスだった。

社員が起こしたトラブル、

その他諸々 でテンヤワンヤだったのだ。

私は営業のトップとして部下に見本を示すべく

朝は7時過ぎには出社し

夜は今まで通り0時近くまで働いた。

売上の穴を埋めようと頑張った。

それを誉めるどころか
(誉めて欲しかった訳ではない)

「高橋君に任せていたら、こうなってしまった」

と言われたのだ。

それで崩れかかっていた積木が崩れたんだと思う。。。

3カ月の自宅療養中、

起きたらノンアルコールビールを飲みながら

TVゲームばかりしていた。

もしかしたら本物のビールも飲んだかもしれない。

何もすることがないし

何をしたら良いのかも分からなかった。

3カ月の長い期間の記憶が殆どない。

隣の部屋に

産まれたばかりの息子と妻が布団に寝ていた事。

勃たなくなったので

インポになったのかと心配になり風俗に行って確かめた事。
(病気のせいでダメでした)

この2つくらいしか思い出せない。

思いさせない位何もなかったという事だろう。。

自分よりも妻の方が大変だったと思う。

お医者さんから許可が出て

職場復帰をする事になった。

まずは半日から始めて徐々に慣らしてと言われ、

その通り伝えた。

職場復帰は拒否された。

会社が大変な時期だった。

私が療養で抜けた穴を埋めるのに

みんな苦労しているのに

病人がウロウロしてもらっては困る。

と言う事で自宅療養期間が延長になった。

かろうじて復帰はしたものの、

薬の影響で運転中に、

あれ俺今どこに向かっているんだっけ?

と記憶が一瞬飛ぶ。

やたら疲れるので無理が効かない。

仕事の方は今までとやり方を少し変え、

ビジネスマッチングを始めた。

木材会社から、

フローリングの売れ行きが伸びないと相談を受けた。

建築会社に訪問した際に「情報提供」として

サンプルを渡してあげたのが始まりだった。

お客さん同士を紹介して

満足度を上げて維持発展しようと言う試みだった。

しかし成績は往時の8割程度に終わった。

社長室に呼び出され叱責された。

「治って復帰したのだから、こんな成績では困る」

今思えば、当然だと思う。

自分は元々自営業の家で育ったので

独立志向があったので結局、退職して今に至ります。

この事に向き合うのに8年余りを要しました。

私が発病した時はまだ、

うつ病と言うのは今ほど認知されておらず、

言うのもはばかられましたが、

今でも病気になる方は多いようです。

身近な人がなった場合、

どうして良いか困るとも聞きます。

何かの参考になれば幸いです。